目次
1 :なぜ海底地震計が必要?
2:手作りの海底地震計
3:完全ではなかったポップアップ式海底地震計
4:バケツ形の海底地震計
5:ポップアップ式海底地震計の完成
6:思わざる敵
7:現代の海底地震計
8:海底地震計の中身
9:番外編。旧ソ連の海底地震計
1:なぜ海底地震計が必要?
ここでは私の現在の研究テーマである海底地震計を使った研究について、お話ししましょう。
私たちは20年あまりかかって、海底地震計という、今までになかった道具を作りました。陸上に置く地震計はいろいろな種類のものがありましたが、海底に置いて観測ができる地震計は、まだ、なかったのです。
海底地震計とは、その名のとおり、海の底に置いて地震の波を捉える地震計です。
海底地震計は海の底で起きる地震を捉えて、その起きた場所や地震の性質を調べることができるほか、人工地震を使って海底の地下構造を研究することにも使えます。
海底でプレートが生まれたり死んだりするときには、岩が動くわけですから、そこには必ず地震が起きます。大きい地震が起きるとはかぎりませ� �が、小さな地震はかならず起きるのです。これらの地震を研究することは、海底で起きているドラマを調べる、いちばん直接の方法なのです。
なぜ「直接」なのでしょう。プレートの動きそのものを測れば、ずっと直接ではないか、と思われるかも知れません。しかし残念なことに、私たち地球物理学者は、海底でも陸でも、プレートの動きを直接に測る機械はまだ持っていないのです。このため、いちばん直接的なのが、起きている地震をしらべる方法なのです。
このとき、地震波というレポーターは、通ってきた途中の情報だけではなくて、地震の震源が出すシグナルそのものも、運んで来てくれるのです。
ですから、震源で何が起こったのか、どんな岩が、どんな力を受けて、どうこわれたのか、といったプレ ートのドラマが、地震計の記録から読み出せるのです。
なぜ海底地震計が必要なのでしょう。地震の波は、たとえ地震が海底に起こっても、陸上まで伝わってくるはずですって?。それなのになぜ、私たちはわざわざ海底地震計を作って海まで出かけたのでしょうか。
その理由を話しましょう。たとえば東京駅に地震計を置いたとしてみましょう。
地震計は地面の揺れを記録する機械です。
この地震計の感度を、どんなに上げても、九州に起きる小さな地震は記録できません。
それは雑音があるせいなのです。電車や自動車、そして雨や風も地面を揺すります。これらが全部、地震計にとっての雑音なのです。地震計が記録するはずのシグナルは、この雑音にまぎれてしまうのです。
雑音は、い� ��でも、どこにでもあります。音にも雑音があります。マイクロホンの感度をいくら上げても、近くに雑音があれば遠くの音が聞き取れないのと同じことなのです。
各地に起きる地震を観測するために、陸上では、世界中に地震計がたくさん置かれています。
たしかに、これらの陸の地震計は海の地震も記録しています。
しかしこれは特別に大きな地震だけなのです。また、観測したとしても精度が悪いのです。小さい地震は雑音にまぎれて、もちろん観測できません。
そもそも日本の地震の85パーセントは海底で起きているのです。日本の陸の下で起きている地震は、わずか15パーセント、つまり全体の6分の1にしかすぎません。
またプレートが生まれるところも、地球の中に潜り込んで消えていくとこ ろも、ともに海底にあるわけですから、世界のあちこちで、海底地震計の出番は多いはずです。
海底で起きているドラマを、ぜひ「現場」で観測したい。
それが海底地震計を作った私たちの願いでした。そのためには、どうしても海底地震計を作って海底で地震観測をする必要があったのです。
私たちが1960年代の終わりに、海底地震計の開発を始めた出発点はここにありました。
4000メートルとか6000メートルとかの深い海の底で観測しなければならない地震計ですから、作るのはなかなか大変でした。
私たちが海底地震計をようやく作りあげたとき、地球の中深くまで研究することや、海の底の下を覗くことが可能になりました。その後も少しずつ、海底地震計の改良を続けています。今は50台ほどの海 底地震計を持っています。
世界各国で、競争して海底地震計を作っていたのですが、さいわい私たちの海底地震計は、世界のほかの国のものよりもよくできていて、海での経験も多いのです。また、50台という台数も、世界で一番多い台数です。
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最近は毎年日本のまわりの海で観測しているほか、ノルウェーとか、ドイツとか、アイスランドとか、南極海とか、ポルトガルとか、世界のあちこちに頼まれて、地震観測に行くことが毎年のように続いています(右図。なお2000年以降も各地で行った)。
1987年から始まった北大西洋での実験は、欧州各国の注目をひいたようで、ドイツとフランスの科学者たちは、わざわざ、私たちが海底地震計の準備をしていたノルウェーまで、見学にやって来たほどでした。
2:手作りの海底地震計
世界のどの国へ行っても、海底地震計は店に行けば買えるものではありません。だから、海底地震計は、私たちが20年以上もかかって自分たちで作った、いわば手作りの機械なのです。
海底地震計にかぎらず、私たちが地球物理学の研究用に使う観測器は既製品がないことが多いのです。それは、いままでにない観測や研究を始めようとするからなのです。
私たちが世界中で誰も作ったことがない地球物理学の機械を作るときには、東京の神田にある秋葉原の電気街にあるジャンク屋(中古部品屋)で売っているメカ部品や電気部品が、どんなに役立ったかわかりません。
じつは、私たちの海底地震計の開発には「前史」がありました。それは陸上用のDARテープレコーダーというものでした。
DAR( Direct Analogue Recording )とは、直接録音、という磁気テープの録音方式で、当時、地震や自動車の振動などのデータを記録するための市販のテープレコーダーは、FM( Frequency Modulation )テープレコーダーでした。これら市販のものは、机の上にやっと乗る大きさでしたが、録音時間は45分間しかありませんでした。
このため、陸上で地震観測をするときには、45分ごとに目覚まし時計をかけておいて、夜も、そのたびに起きて、テープを取り替えることが必要でした。これをやるのは、たいてい、若い大学院生の役目でした。
私たちは、陸上用のDARテープレコーダー(左の写真。モデルは当時、陸上用のDARテープレコーダーの開発や観測を一緒にやってくれた大学院生、波江鶴子氏)を開発して、1週間連続で記録でき、しかも小型のテープレコーダーを作ることに成功しました。そして、この大きさならば、もうひとがんばりすれば、海底地震計が出来る、という感触を得ていたのです。
私はいまでも、なにか実験に使えるものはないかと、よく秋葉原を歩き回ります。秋葉原は、研究費の必要が生んだ母であり、また私たちの研究の故郷でもあるのです。
この陸上用のDARテープレコーダーも、秋葉原からテープレコーダーの中古品を仕入れて作ったのです。1960年代の前半のことでした。中古のテープレコーダーは放送局用の肩掛け録音機でした
右の写真にある海底地震計の一号機もそうでした。秋葉原からテープレコーダーの中古品を仕入れて作ったのです。1968年のことでした。いかにも手作りで無骨な海底地震計でしたが、外観をよくしている余裕はありませんでした。
海底地震計は中身だけ作っても働きません。地震計本体のほかに、強大な水圧に耐えるための耐圧容器を作って、これらの装置をその中に入れる必要があります。最初の頃の耐圧容器は鉄の筒で作りました。直径18センチ、長さ80センチほどの大きさでした。
その後も耐圧容器を作る材料としては、鉄のほか、いろいろな種類のアルミニウムや、グラスファイバー(左の写真の向こうから4番目。なお、モデルは当時、海底地震計の開発を一緒にやってくれた大学院生、浜田信生氏)まで、いろ� �ろな材料を試してみました。研究費が限られていますから、安くて強いものをさがしていたのです。
なお浜田氏は船に酔って吐いても、すぐその場で食べる「根性」がありました。2008年現在、気象庁地震火山部長です。
耐圧容器だけではありません。観測をするときの大きな問題は、海底地震計をどうやって海底に設置して、どうやって海底から回収するかでした。
まず海へ行くための船がいります。また記録は海底地震計に内蔵されていて、回収後に船上や実験室でデータを取り出すわけですから、この設置と回収に失敗しないためのいろいろな工夫が必要でした。もし回収できなければ、データを失うことになってしまうのです。
私たちが海底地震計を作り始めた1960年代の終わりにも、二、三の国で海底地 震計が作られていました。しかし、どれもが実用にはならないものでした。
そのどれもが、小さくても机くらい、大きければ乗用車くらいの大きさを持っていて、そのうえ故障ばかりしているものでした。
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私たちの海底地震計はなるべく小さく作ることを目標にしていました。海で使う機械は、船から海に入れたり、海から拾い上げたりしなければなりません。
大きな機械だと、そもそも大きな船が必要ですし、そのうえ海が荒れたら作業が危険になるので、実験ができなくなってしまいます。
でも機械が小さければ、少しくらい海が荒れても、へいちゃらで実験ができるのです。
私たちは世界でもいちばん小さい海底地震計を作りあげました。しかも、ほかの海底地震計よりも、故障もずっと少なかったのです。(右の写真。私たちの海底地震計は耐圧容器に入れた状態で、約80kgでした。なお、この耐圧容器は高張アルミ製でした。モデルは筆 者。東京大学海洋研究所『白鳳丸』の南太平洋の航海で)。
いまにいたるまで、私たちの海底地震計はそれなりに進化させてきていますから、世界でいちばん小さいままです。
ちなみに、私たちのライバルのひとつだった東京大学地震研究所の海底地震計は、左の写真のようなもので、600 kg 近くありました。当時の軽自動車1台半分、当時の小型自動車、スバル1000とか1300の1台分に迫る重さです。
耐圧容器の蓋ひとつ開けるためにも、海底地震計をこうして甲板に固定し、天井に吊ったチェーンブロックで巻き上げないと、蓋が取れないのです。
陸上では、大したことがない作業、と思われるかもしれませんが、揺れる船の上で、こういった作業をするのは、危険だし、とてもたいへんなことなのです。
なお写真の左は笠原順三氏(当時、東京大学地震研究所助手)、右は大内徹氏(当時、地震研究所の大学院生、いまは神戸大学理学部助教授)、中央でニコニコしながら見ているのは浅田敏氏です。
引用:島村英紀『地球の腹と胸の内――地震研究の最前線と冒険譚』から
船に危険はつきものだ。
何が起きても、とっさに対処できるように気配りだけはしておかなければならない。
東京大学地震研究所がロープ係留式海底地震計をやっていたころ、係留ロープの代わりに、鉄線を編んだワイヤーを使っていた。その研究所の先生は、海底地震計がなくなったのを、漁師にロープを切られて盗まれたためと思っていた。海底地震計を盗まれないため、とかいうことで、頑固にワイヤーを使っていたのだ。
海底地震計を回収するために、そのワイヤーを船に巻き上げていたときに、ワイヤーがどこかに引っかかって、切れた。
強く張っていたワイヤーが切れたときほど、危険なことはない。
ワイヤーの端は、恐ろしい速さで、甲板の上を飛ぶ。それ はまるで刃物だ。
当たったら、首が飛ぶことがある。
そのときに、船乗りたちの反応は、驚くべきものだった。
またたく間に、機械の陰や、甲板に空いている孔の中に身を投げる。
相当な年齢で、失礼ながら、いささか、よぼよぼしているように見えた甲板長も、恐ろしく逃げ足が速かった。長年、海の上で暮らしただけのことはあった。
人のことばかりは言えない。
私たちのロープ係留式海底地震計でも、荒れた海でロープを巻き上げていたときに、大波が甲板に入ってきたことがある。
とても抗しきれるものではない。ロープを引っ張っていた私たちや船乗りたち、みんなが押し流されて、あちこちにたたきつけられた。
波が入って来ることは、予想できないことではなかった� ��
しかし、乏しい研究費で借りている船のこと、天候待ちをしている余裕は、もう、なかったのだ。
私の身体には、そのときの傷跡が、消えないで残っている。また、近くに置いてあった、ボーナスで買ったばかりのカメラと超広角レンズを駄目にした。
海底地震計は船がなければ観測ができません。はじめのうちは観測の機会はかぎられていました。どんな機会でも逃さないようにしたい。このために私たちは、小さな漁船でも観測できる設計を織り込んだのです。
このためいちばん大事なことは海底地震計が小さい、ということでした。
設備が整った観測船を使えわせてもらえる機会はほとんどありませんでした。限られた機会だけを当てにはしたくない、漁船でも観測できれば、どんなチャンスに� �観測できます。それに漁船なら世界中にいます。それが今に至るまで続いている私たちの観測の哲学です。
まず漁船で何ができるかを調べました。船乗りたちにも話を聞きました。そして始めたのが「ロープ係留(けいりゅう)式海底地震計」でした。海底地震計から海面のブイまでの間を長いロープで「係留」する、つまり、つなぐ仕組みの海底地震計です。
この仕組みは、英語では「アンカードブイ (Anchored Buoy)」といいます。
どのように私は釣りのリールを操作しない
ロープには漁業用のロープを使います。ロープは海の深さの1.4倍の長さのものを使います(左の図=島村英紀画=。島村英紀『地球の腹と胸の内――地震研究の最前線と冒険譚』から)。
こんなに長いロープを海に下ろしたり、また巻き上げたりするのは、どんなに大変だろうと思うでしょう。
しかし私たちには「成算」がありました。この種の仕事は、じつは漁網や、マグロを捕るハエナワを下ろしたり上げたりする作業そのものなのです。
漁業という作業は、洗練された無駄のない作業になっています。生活がかかっていますから、少しくらい天候や海況が悪くてもできるように工夫されているのです。
私たちの海底地震観測は、日本の漁業の経験に支えられて育ったのです。海面に置くブイも、じつは漁網やハエナワにつけるブイの応用でした(上の図=島村英紀=と、右の写真。東大理学部三号館地下で。なお、右の写真では、メインブイが上の図のものとは別の形式のものだ。モデルは上と同じ、浜田信生氏)。
私たちの最初の海底地震計は1969年に最初の観測に成功しました。当時はたった一台のトラの子でした。
海底で観測を終わって船の甲板に帰ってきた海底地震計をドキドキしながら開けてみました。初めての海底地震の記録が無事に入っ ていました。よかった。これで海底地震を観測できる見通しがついたのです。
このロープ係留式海底地震計の設置は、それなりに洗練された作業になっていました。6000メートルの深さの海に海底地震計を沈めるためには、約9000メートルの長さのロープが必要でした。
これは、水深に対してある程度余剰の長さがないと、海流のために、海上のブイが海中に引きずり込まれてしまうせいです。
海底地震計の設置は、まず、ブイを海上に下ろして浮かべ、船はロープを繰り出しながら、4〜6ノット(毎秒2〜3メートル)ほどの速さで遠ざかっていきます。そして、すべてのロープを投入し終わったときに、船の舷側の外側から海底地震計を海中に投下するのです。
投下された海底地震計は、長いロープをパ� �シュート代わりに、海底へ向かって落ちていき、やがて、海底に着地する、というわけです。これが設置のプロセスで、6000メートルの海でも、約1時間で設置を終えることができました。
写真は1974年10月、東海大学が持つ『望星丸』(1100トン。このときは初代の船だったが、1978年に引退した。いまは三代目になっている)での、小笠原諸島近くでの私たちの海底地震計の設置作業です。いまは、ブイを入れてしまって、船を走らせながら、ロープを右舷側の舷側から海へ入れていっている途中です。
すべてのロープは、設置する順番に、甲板上に、絡まないようにコイルされています。 そして、ロープを入れ終わったときに、甲板上に二台置いてある、黄色く塗装した海底地震計のアルミニウム製の耐圧容器を投げ込んで終わり、というわけなのです。
設置作業は、危険な要素はほとんどなく、私たちや船員の人は、眼だけでロープの出ていくところを監視しながら、雑談にふけっていたり、冗談を言ったりすることもできるほどなのです。
しかし、船長は上の写真の上の端に見えるように、船橋から右の踊り場に出て、ロープが海に繰り出されていくのを見ながら、風や海流を考えて操船を続けているのです。
ところで、この甲板上にロープをコイルして置き、それを端から絡まないように海の中へ繰り出していく仕掛けは、イランで私たちが海底地震観測をしたときには、そんなことはできない、と拒否されてしまいました。
右の写真のように、甲板いっぱいに重ならないように置いて、それを端から出していくことしかできない、とイランの船員から言われたのです。
つまり、上の写真の日本方式は、いわば、日本の漁業者なら慣れている方式、つまり、たとえばマグロ漁の延縄を海中に入れていく方法の応用なのです。日本の観測船の乗組員のほとん どは、漁業者の経験を持っていましたから、私たちの海底地震計の設置は、それに学べばよかったのです。
この海底地震観測はアラビア海で地下構造を研究するために、イランの科学者から招待されて、私たちの海底地震計を持っていった観測で、1977年に行いました。
ところで、ロープ係留式海底地震計のいちばん心配なことは、ロープが切れることでした。たった一本のロープで、海面上のブイと海底の海底地震計がつながっているのですから、一カ所でも切れてしまったら、海底地震計は、もう回収できません。
ロープは、海底地震計を海底に設置するときに(たとえば船縁にこすったりして)も、海底地震計を回収するときにも、そして、海底地震計が海底にあるとき(たとえば航行する船に引っかけられたり、あるいは激しい海流でひっぱられたりして)も、いつでも切れる可能性がありました。
そのためには、ロープにどのくらいの張力がかかるのか、自分で測定することにしました。こうして左の写真のような「ロープ張力計」を作りました。これは島村英紀と窪内洋子(東京大学海洋研究所・高野健三研究室)氏の共同研究です。
張力計は、極力小型で、安価に作りました。このため、自動車のバネを使って、その縮み分を、内蔵した透明プラスチックの円筒に、針で引っ掻いて記録することにしました。これなら、耐圧容器も、高価なレコーダーも、電池さえも不要です。
また、その後、張力が少しでもゆるんだときには、そのストローク(バネの伸びしろ)を利用して、プラスチックの円筒を少し回転することにしました。これによって、海底地震計を設置するときから、海底での地震観測時、そして回収を終えるまでの張力の履歴がグラフとして記録されるのです。
ロープの最大張力を測ることは、海底地震観測に使うロープの太さを決めるときに、きわめて大事なものでした。ロープは、もちろん太いほど強いのですが、他方、太いと、(なに� �数千メートルと長大なロープなので、)海流の抵抗になるので、海流による張力が増してしまい、太くした分だけ、強くなるわけではないからなのです。
そして、もちろん、「無駄に太い」ロープは高価で研究費を圧迫しますし、ロープを大学から船に運んだり、船の倉庫に入れておくことも、大変になってしまうのでした。
しかし、ロープの張力以外にも、まだ、わからないことだらけでした。たとえば、数千メートルの深海にどのくらいの流れがあるか、は当時はどの海洋物理学者も知りませんでした。彼らの関心は海中全体の流れで、海底ぎりぎりのところの流れなどに興味を持っている研究者はいなかったのです。
海底地震計にとっては、海底地震計のまわりの深海の流れは、(カルマン渦というものを発生して)雑音の元になるので、どの深さで、どのくらい流れているか、私たちは知りたかったのです。
このため、当時、自分で深海流速計をわざわざ作りました(写真)。これを深海底に設置して、深海底層流というものの流れを測ったのです。
(右の写真は東京大学海洋研究所の観測船『淡青丸』、八丈島沖で。モデルは浅田敏氏。200トンの小型船で、よく揺れたので、船酔いに参っている)。
この流速計の中には、私たちが作った小型のテープレコーダー(左の写真)が入っていました。
地震の振動の代わりに、機械の下部(右上の写真の左端)についているサボニアス・ローター(ごく小さな海流でも� ��転する「風車」のようなもの)とベーン(流向に追随するヒレ)からの電気信号を記録する、いわば、海底地震計の「応用問題」だったのです。
テープレコーダーの右に付いているのは、シリコンオイルの入れ物に入った磁石です。
アルミで出来た耐圧容器(上の写真)を通して、サボニアスローターに取り付けた永久磁石の回転を、耐圧容器の中で感じるような仕掛けでした。こうすれば、トラブルの元になりやすい、耐圧容器の壁に電線を通すということが不要になるからでした。
(「雑音」のイラストは、イラストレーターの奈和浩子さんが『地震学がよくわかる---誰も知らない地球のドラマ』のために描いてくださったものです。その他のものは島村英紀による)
1 :なぜ海底地震計が必要?
2:手作りの海底地震計
3:完全ではなかったポップアップ式海底地震計
4:バケツ形の海底地震計
5:ポップアップ式海底地震計の完成
6:思わざる敵
7:現代の海底地震計
8:海底地震計の中身
9:番外編。旧ソ連の海底地震計
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